ドイツ滞在の記録(2024年3月と4月)

 現在ドイツの大学院で博士課程をやってます. 集合論を研究しています.


これまで
みなさん、お久しぶりです。更新をサボっていました。
2024年2月に無事修士課程を早期修了しました。3月からはPh.D.を始めます。ドイツに来る前に日本で半年修士をやったので、プラマイゼロです。
修士論文の結果については、かなり満足のいく結果が出せたと思います。現在いくつか新しい結果が出たので論文を執筆中です。さらに嬉しいことに指導教官の推薦もあり、7月にある内部モデル理論の研究集会で研究結果について話すことになりました。 他のスピーカーが本当にすごい数学者ばかりで自分がそこに混じっていいのかという不安もありますが、修士を取り博士を始めたばかりの学生にとっては千載一遇のチャンスなので何とか発表を成功させたいです。  
そのうち論文も出ると思うので楽しみにしておいてください。


07.03.2024
国語再開です。
指導教官がアメリカから帰ってきたので、書いてる途中の論文を見せて話した。あとはいくつか書き足せば問題なさそう。
博士を始めて、自分のオフィスをゲットした。とても快適である。 8階で眺めもよく、個室なので自分の城を手に入れた気分である。数学もとても捗る。
今住んでいる学生寮の家賃が50ユーロ上がるらしい。値上げ後でもまだ激安なので住み続けると思う。 博士課程になって給料を貰っているんだからいいところに引っ越したほうがいいじゃないかと言われるが、今住んでいるところに満足していることに加えて、固定費を上げたくないので引っ越さないと思う。 家賃の値上げに対して、周囲の留学生は不満を述べており、引っ越すと言っていた。一方で戦争による光熱費の高騰やインフレの影響もあり値上げは不可避であったことは明らかなように思われる。 私としては値上げはウェルカムである。(これはPh.D.になって十分な給与を貰っていることは関係ない。なぜなら修士で貰っていた奨学金でも余裕で払える額なため。) この値上げによって寮の環境が良くなることが期待できるので全く不満はない。


08.03.2024
Ph.D.最初の1年目では単純に数学する時間をもっと増やす、もっとハードワークすることを目標としている。 あとはちゃんと考えたことがある程度貯まったら、一度証明をタイプする習慣をつけたい。 これまで毎回めんどくさくて紙に書いて終わりにしていたが、タイピングを通してもっといいアイデアが浮かんだり、議論が深まったりすることが多いと感じたのでそうすることにした。
とりあえず朝7時半に大学に行き、夜19時以降に帰る生活リズムでやって見ることにする。


08.03.2024〜11.03.2024
8日の朝に自分が書いた主定理2の証明の一部のギャップに気付いた。丸四日かけてそれを直した。
間違っていた部分はしょうもないミスで集合AとBが等しいことを示す際に、AがBに含まれることは明らかで、逆の包含を示そうとしてAに入ってない元を取ってBに入ってないことを示していた。 (追記:また間違ってる。本当はBに入ってない元を取って、Aに入ってないことを示していた。集合位相からやり直した方がいい。) 同じことを2回示しているだけである。気がついた時には肝が冷えた。(ごちゃごちゃした計算の途中だったので、うっかりミスをしてしまった。) 主定理2は最も重要な結果である主定理1の仮定が無矛盾であることを示しているので、これが死んでしまうと主定理1の説得性が薄れてしまうのである。
主定理2は既存の結果2つがうまく組み合わさることを示して、次に得られた対象が主定理1の仮定を全て示している。 主定理1の仮定で最もテクニカルな部分である仮定Pは今まであまり議論されてなかったが、今回自分の論文で本質的に効いてくる部分となっている。 仮定Pに関しては大きな未解決問題が残っているし、色々まだ語ることはあるが、ここでは深くは述べないことにする。(その大きな未解決問題は最近取り組んでもいる。いつか解けたらいいなぁ。)
とにかく自分が一番最初に書いた仮定Pが成り立つことの証明は酷い間違いを含んでいたのである。 ただ成り立つであろう状況証拠はあったし、これが成り立たなかったら主定理2の証明で用いた既存の結果の1つは正直役に立たないものになってしまうので、そんなことはないだろうと思っていた。
とりあえず1日目は色々初等的な計算だけでいけないかを一通り試したが、無理そうだという結論になった。それ以降はめちゃくちゃ難しい道具で倒せないかなど考えたが無理そうという結論になった。 10日になると不貞腐れて、成り立たない方向性で色々計算をしてみたりもした。11日の朝に諦めて指導教官にダメそうだと告白した直後に、閃いて証明できた。(この時は天才かと思った。) 結果的には、今まで断片的に自分が思いついていた議論がうまく組み合わさった証明になった。アイデア自体は別な議論で出てきたものだったけど、自分の方向性自体は間違ってないことがわかって少し嬉しくなった。
ということで無事気分良く日本に一時帰国できそうです。


12.03.2024-13.03.2024
朝4時ごろに起床して色々準備をし、デュッセルドルフ空港に向かった。 今月に入ってからドイツ全土で連日列車やバス、さらに空港職員のストライキが毎日どこかしらである状況だったので心配ではあったが、無事間に合った。 朝11時の飛行機でまずはヘルシンキに向かった。窓から見えるフィンランドの自然はとても美しかった。いつか北欧観光に行きたい。 ヘルシンキ空港で3時間ほど時間を潰していた。せっかくなのでフィンランドで一番有名なビールを飲んだ。とてもおいしかった。
そのあと羽田行きの飛行機に乗ったわけだが、すんなり行くはずもなく、ストライキのためラトビアで2時間ほど給油のため止まった。偶然横に座った人がウィーンからきた大学生でお話ししたり、スマブラをやったりして時間を潰していた。 彼とはかなり仲が良くなった。今度ウィーンに行った時に会おうと約束をした。
時差ボケを治すために睡眠はほどほどにして起きて数学をしていた。羽田には16時ごろ到着した。 羽田でシャワーを浴びるつもりだったが、ストライキのせいですでに2時間遅れていたので着替えるだけにした。
品川に行く途中で外国人環境客を何組か助けた。人助けは大事である。英語が上手くなったのに加えて、英語を話す度胸がついた。 品川に着いた後に革靴の修理のために新橋に向かった。新しいシュースチールを持ってきた靴に取り付けた。 非常に丁寧な仕事で感動した。今住んでる州で満足のいくような革靴修理の職人を見つけられていないので困っている。
その後は叔母と従兄弟と酒を飲んだ。日本酒うますぎた。
一年半ぶりに日本に帰ってきたがやはり日本は素晴らしいところである。  


14.03.2024
今日は元指導教官の新井先生の最終講義であったため、駒場に行った。お昼は同期と油そばを食べた。めちゃくちゃおいしかった。 その後渋谷のカフェでまったりしながらお話をしていた。渋谷も新しい建物がいくつも建ってて感動した。
新井先生の最終講義はとても面白かった。 分野の人口問題に関して、日本で順序数解析をやっている研究者は(おそらく)新井先生だけであるというのはとても残念である。 (とは言いつつも、自分も集合論をやっているわけで、そんなことは言えないのである。) それでも新井先生が東大数理に来て、学部でも数学基礎論の授業が開かれることになってから数学基礎論を勉強する(した)学生は間違いなく増えたと思う。 (それ以前にも長谷川先生が計算機科学の授業をやってらっしゃたと思う。もちろん計算論重要である。) 新井先生が退官した後も後任の先生が来るので東大数理で数学基礎論をやる人は当分一定数はいるのではないだろうか。 学部の授業でロジックの基礎の部分があるのは非常に大きいなとドイツに来てから感じた。


15.03.2024
今日は昼に同期と新宿でラーメンを食べた後、午後4時の新幹線で福岡に向かう予定である。
早めに新宿に着いたので伊勢丹を見ていた。J.PRESSの紺ブレザーを買った。散財である。その後は他の服屋さんを見ていた。 同期と合流した後に新宿の風来居に行った。とてもおいしかった。次帰国した時にもいくつもりである。 その後カフェでお茶をした。論文の話などをした。楽しかった。 妹に荷物を渡しに来てもらったが、そのまま返すのは罪悪感を感じたので少し買い物に行った。スプリングコートを買ってあげた。
その後新幹線に乗り博多へ向かった。道中でお弁当を食べ、ビールを飲んだ。日本の景色は最高だった。
博多で恋人と合流した。


16.03.2024-20.03.2024
16日から18日の間は福岡に滞在をした。 主な目標は恋人の就職祝いに食事に行く、トリアスふれあい動物園にビーバーを見に行く、婚約指輪を見に行くである。
どれも達成された。就職祝いに名刺入れをプレゼントしたかったがいいものが見つからなかった。10月ごろにまた日本に帰る予定だし、その時にオーダーしようと思う。
18日の朝に博多を出て、鹿児島中央駅に着いた。鹿児島中央駅周辺をぶらぶらした後、実家に向かった。(今回の帰国の目標の一つは恋人を親族に合わせることがある。) 顔合わせは上手く行ったと思う。


21.03.2024
右下の親知らずが痛くなってきたので急遽無理を言って抜いてもらうことにした。待つ時間がある程度あったので、論文を書いていた。斜めに生えていたので切開したりと大変だった。 手術する人にお願いをして、顔にタオルをかけずに、手術の様子を見えるようにしてもらった。面白かった。
多少は痛いものの、腫れることもなかった。痛み止めを飲んで早めに寝る。


31.03.2024
どうやら今日高校の同窓会があったらしい。らしいと言っているのは自分は呼ばれなかったからである。 非常に悲しい。
自分が人格的に優れているとか、素晴らしい人間であるとかは全く思っていないが、同窓会に呼ばれないほどの人間だったのだろうか。 自分が同窓会に呼ばれないレベルの人間であると知り、絶望している。どうすればいいのだろうか。 自分はそれほどまでに人格に難がある人間だったのか。辛い。とりあえずビールを飲んでいる。
こうやって自分は社会から除外されていく価値のない人間なのだろう。生きる価値がない。


01.04.2024
イースターのため祝日だった。スマブラをやっていた。


02.04.2024
政治的諸事情でオフィスを移動することになった。引っ越しをした。新しいオフィスも悪くない。
デスクに花を飾る代わりにレゴで盆栽を作って飾ることにした。普通の松のような枝と満開の花を選ぶことができる。 春なので前者にした。とてもいい感じだ。


03.04.2024
オフィスで数学をしていた。人と話したり議論したりもした。


22.04.2024
論文をarxivに投げた.雑誌にも投稿した.


25.04.2024
今日やっと修士の修了証明書が貰えた. 理学部の事務で欠員が出て業務が回ってないそうだ. 急かして申し訳なかったが, こっちも修了証明書を提出しないといけないので仕方がない. 修士を修了してから2ヶ月待った.
修士は最高評価の成績で修了できていた. 嬉しい. 結果として, 成績最高評価で修士を早期修了して, Ph.D. positionも取れて, 論文も1本書いたので, 初めて海外来て慣れない環境での修士を上手くやれたのではないか。


27.04.2024 and 28.04.2024
自分が怠惰すぎて嫌になる。やるべきことがいっぱいある。
以下は全くまとまってない文章です。ただ思いついたことを羅列しているだけです。
ツイッターを見ていたら数学と天才についての議論が流れてきた。 天才とは何かを真面目に定義する気もないし、場面が変わると天才という言葉が描写するものも変わると考えているのでここではすごく賢い人だったり何かに突出して優れている人ぐらいにしておこう。 世界を見渡せば自分より圧倒的に賢い人なんていくらでもいる。 東大数学科の狭い世界の中でも自分は平均か平均よりちょっと下ぐらいだろう。 自分より歳が下でも自分より遥かにすごい人は沢山いる。 ちょっとネットで調べてみると高校卒業後飛び級でMITのPh.D.に進んで数論を研究していて論文もいくつか書いてる人だったり、数学を独学で学んでその後カルフォルニア(どこ大学か忘れた)のPh.D.に飛び級で入り数論をしている人とかが普通に見つかる。 あとは中学高校の時から共同研究をしてすでに論文が二桁に近い人だったり。 アメリカのトップ大学の人ってすごいなぁと勝手に思っている。 もちろん上の世代も言わずもがなである。
そういう人たちだったり、身近な人だと指導教官だったり同僚だったりを見ていると決して自分は天才の側ではないだろう。
世の中に自分よりすごい人がいくらでもいるなんてことは中学の時点で気づいていたし、そういう人たちに会いに行くために東大にきたし、そして日本を出てドイツに来た。 東大に入ったばかりの頃はすごい人たちを見て、自分なんかが数学ができるのだろうかと頻繁に考えていた。(今もそうである。) こう書いているがネガティブな気持ちよりかは、自分がやれるとこまでやってやるかというポシティブな気持ちの方が強い。 自分が天才の側ではないとしても、数学の世界で自分の名前が残るようなことはしたいという気持ちがある。 今のところはそれで数学を諦めようという気持ちは全くない。 とりあえず博士に進んだし、その間は進むしかないと思っている。
鹿児島の田舎の方の出身で、有名な中高を出ているわけでもない、圧倒的優秀でもない自分が今こうして数学ができているのは、自分のことを信じてくれた親だったり、応援してくれてきた人のおかげであると思っている。 あとはただただ運が良かったなと思うことが今思いつくだけでも5度以上はある。 例えそれが勘違いだったとしても、自分はやっていける、できると信じて今はやってます。 そんな感じで今も何とか生きています。


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